かまなりやのやきもの草紙

08.用の美とは言うけれど 「ようのびとはいうけれど」
工芸の世界では「用の美」と良く言われます。 |
| これは「使ってこそ工芸品の価値はあるのだ」という意味と「使い込 |
| むほど物は美しさを増す」という二つの意味にとることができますが、 |
| どちらかといえば前者の方が強いように思います。極端にいうと「用 |
| 途を兼ね備えているからこそ美しいのだ」とも受け取れます。一口に |
| 言えば“機能美”でしょうか。今回は工芸と切っても切れない形容句 |
| この「用の美」を哲学してみましょう・・・。 |
実用的な観点から見るとこれはとてもわかりやすくうなずける言葉で |
| す。絵画や彫刻のような“純粋美術”と呼ばれる物は用途が視覚的 |
| な鑑賞に限定されてしまい使う事は困難ですが、工芸作品の多くは |
| 手に取り、盛りつけ、口に付けて味わうことができます。使用者は手 |
| 触りや重さ、口当たりなどの感触で、より細かくその物の存在をかみ |
| しめることができます。ところが美術的な観点で見ると、この“用の機 |
| 能”が反作用を起こします。より美しい物を求めて新しい試みを盛り |
| 込み、技法の粋を尽くして作られた工芸作品は美しくはあっても、使 |
| いにくい物になってしまいます。逆に、機能を重視しすぎると華美な |
| 装飾や必要以上の付加機能は邪魔になり、そぎ落とされた工芸作 |
| 品は只の“道具”になってしまいます。これでは「用」と「美」は根本的 |
| に矛盾してしまいます。では、どのように解釈すれば中庸するので |
| しょうか・・・どうやら「用の美」は新しい感覚で解釈しなければいけな |
| いようですね。白か黒かと言うような二極論ではなく、時と場合によっ |
| て、または使う人の好みによって可変的に位置づけていくということ |
| なのでしょう。簡潔にするために「用」と「美」を個別に考察して手が |
| かりを探ってみましょう。 |
「用の美」が語られるとき、どうも「用」の解釈が狭くとらえられている |
| ような気がします。「使ってこそ美」と聞くとほとんどの人が飾って眺め |
| ていてはいけないと感じるでしょうが、そんなことはありません。眺め |
| て楽しむのも「用」であれば、宝物のように大事に仕舞っていてそっと |
| 開いてみるのも「用」と考えるのがいいでしょう。大事な物ほど心の内 |
| にそっと仕舞っておきたいということがありますよね・・・ |
「美」はまた、人によって解釈の分かれる観念的なものですのでここ |
| で論ずるのが難しいですが「好み」という言葉に置き換えて考えてみ |
| ましょう。「好き・嫌い」を美の概念に直結して考えるのは危険ですが |
| 「用の美」の美に限っては「好み」としてみるとわかりやすいでしょう。 |
| 「見ている対象物を好む気持ち」をその対象物を鏡にしてすかし見る |
| と、一人一人の「美」の姿が浮かび上がるように思います。自動車の |
| 購入にたとえるとすると、たくさんのメーカーや車種から自分のライフ |
| スタイルや予算に照らして、機能やデザインを吟味して好みの一台を |
| 選ぶ事で、改めて自分の美意識が車という形になって具現化し、再 |
| 認識するといった感覚です。 |
こうして考えていくとやはり「用の美」というのは数学の公式のような |
| 絶対的な概念ではなく、幅を持って解釈すべき観念のようですね。 |
| まさに日本人好みの「曖昧な概念」です。例えて言えば・・・「用」は、 |
| 気候や天候によって最善の物を選ぶ衣服のような感覚で解釈するべ |
| きもの。「美」は、健康を維持するために摂る栄養のように解釈すべき |
| もののようですね。そして、この二つの調和をはかることで「用の美」 |
| は構成され、「品格ある美意識」が発現するのでしょう。 |
さて、話がややこしくなりましたが、結句「用の美」はその言葉の持つ |
| 単純なイメージよりも、難解な謎かけの要素を含むキーワードである |
| ことは解っていただけたと思います。これを実生活で実感するには毅 |
| 然とした主体性が要求されますが、上記のように身近な物事に照らし |
| て考えることで整理がつくのではないでしょうか。いまや「用の美」と |
| 盛んに言われた「昭和の感覚」は修正を要する時代になったようです |
| 21世紀は、用途を幅広くとらえ、その上で「美」を複雑に解釈し、使用 |
| 者が主体的に「用」と「美」を統合し、生活に反映させていく時代だと |
| 思います。同じように、「古きよき物」と「新しい意匠」をともに大事にし |
| ていきたいものです。 |